分かったつもりになっていた自分に、何度も気づかされた

2026年02月02日


人はそれぞれ、違う場所に立って仕事をしています。
同じ空間にいても、見ている景色は少しずつ違う。
頭では分かっているつもりでも、
日々の忙しさの中で、その前提を忘れてしまうことがあります。

あるやり取りの中で、
私は「合理的だ」と思う判断を、そのまま伝えました。
状況を整理して、今できる最善だと考えたことでした。
けれど、その場の空気は、思ったほど前向きではなかった。
相手はうなずいていたけれど、
どこか言葉にしきれない違和感が残っているように感じました。


あとから振り返ると、
私は事実や判断ばかりを見ていて、
相手がどんな気持ちでその場に立っていたのかを、
十分に想像できていなかったのかもしれません。
「正しいかどうか」と
「受け取れるかどうか」は、必ずしも同じではない。
そのことを、改めて突きつけられたような気がしました。

人間理解という言葉は、
どこか大げさに聞こえることもあります。
でも実際には、
相手の感情や立場を、完璧に分かることはできない。
むしろ、「分からないかもしれない」と思うところから
始まるものなのかもしれません。


私は以前、
相手のためを思って言った言葉が、
思いがけず重く受け取られてしまった経験があります。
そのときは、
なぜそう感じさせてしまったのか分からず、
しばらく考え込みました。

時間が経ってから気づいたのは、
私は相手の状況を「理解したつもり」になっていたということです。
話は聞いていた。
情報も把握していた。
でも、その人がどんな気持ちで日々を過ごしているのか、
そこまで想像できていたかというと、
正直、自信はありませんでした。


相手の立場や感情に寄り添うというのは、
何か特別な言葉をかけることではないように思っています。
すぐに答えを出さないこと。
評価を急がないこと。
「そう感じるのは当然かもしれない」と
一度、自分の中で受け止めてみること。
その小さな姿勢の積み重ねが、
少しずつ信頼につながっていくのではないでしょうか。

もちろん、
寄り添おうとしても、うまくいかないことはあります。
分かったつもりで、またすれ違うこともある。
それでも、
相手の気持ちを理解しようとする姿勢そのものが、
関係性をつくっていく。
最近は、そんなふうに感じています。


仕事の現場では、
感情よりも結果が優先される場面も多くあります。
私自身、
つい効率や正しさに目が向いてしまうことがあります。
けれど、人と人が関わる以上、
感情を切り離すことはできない。
むしろ、そこに目を向けないことで、
後から大きなズレが生まれることもある。
経験を重ねる中で、そう思うようになりました。


私が人間理解力を大切にしたいと思う理由は、
誰かを思い通りに動かしたいからではありません。
一緒に働く人たちが、
安心して自分の考えや気持ちを出せる状態をつくりたい。
そのためには、
まず私自身が、相手の立場に立って考えようとする必要がある。
そう感じています。

正直に言えば、
まだまだ足りないと感じることばかりです。
気づけなかった感情もありますし、
後悔する場面もあります。
それでも、
「分かろうとすること」をやめないことだけは、
これからも大切にしていきたいと思っています。

相手の気持ちに寄り添う姿勢は、
目に見える成果としてすぐに現れるものではありません。
けれど、
時間をかけて少しずつ積み重なっていく信頼は、
確かなものとして残っていく。
今は、そんなふうに考えながら、
人と向き合うようにしています。


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